伝承でつづる
奴奈川姫命物語

その4
姫の悲運

                                        不吉な知らせ
大国主命と奴奈川姫命の間に我が社の御祭神建御名方命がお生まれになり、豊かな暮らしがつづいていたがそこへ、大国主の父が亡くなったという知らせが長男八重事代主命より届いた。命は心配する高志の酋長たちにこの国は息子建御名方命に任せるので後見を頼み、出雲へ帰ることになった。帰るに当たり命は姫に一緒に出雲へ行くよう説得する。しかし、姫は出雲へ行くことを嫌った。出雲にはイナダ姫、須世理姫など美しい多くの后がおり、イナダ姫は中でも嫉妬深い后であったからであり、また姫には大切な翡翠を守らねばならないという願いが強かった。承知しない姫に困った大国主は家来に命じ、姫の夜眠っている間に船に乗せ七尾港に運ばせた。翌朝目を覚ました姫は船の中にいることに驚き、事態を覚った姫は何とか脱出しようとチャンスをねらった。

                                                姫の逃走
七尾港で一週間ほどたった暗い夜幼少のころから仕えていた人たちが小舟で助けに来た(出雲から逃げてきたという話もあるようだ)。脱出した姫はまず故郷の福来口の洞窟に逃げたが、姫を連れ戻すよう命令された大国主の追っ手が早くもやってきた。姫は姫川の対岸へ逃げようとした。しかし姫は対岸に渡ろうとせず川上の今井に逃げた。そこでこの川を姫めが渡るのを厭がったので厭川と名が付きその後糸魚川となったとか。今井は姫を育ててくれた乳母の里で一行は西姥が懐で休息し、東姥懐でも休息。福来口と今井との間には子供のころ遊んだ船庭の池もあって昔を懐かしむ間もなく追ってに追われ姫川に沿って根知谷に逃げた。伝承に残るところをつなぐと、別所、大久保を経て、小谷村後悔が原に潜む。そこへ息子が来て出雲に行くよう勧めたが断った。息子は仕方なく身輪山の宮殿に戻った。姫は自分攻めた、そこで後悔が原という地名ができたとか。その後姫が淵(姫が淵は白馬にもあるようである)までやってきて姫は淵に身を投げたがお供のものに救われた。
 

姫が最初に隠れた黒姫山
此の山の中腹に福来口洞窟がある
福来口洞窟
逃走地図1


                                               夜星武、姫を助ける
そこで姫は再び息子のいる宮殿の方に行こうと根知谷の方に戻り御前山から山伝いに逃げ平牛山にきたここで姫は食器などを追っ手に気づかれないよう埋めて隠した。ここに飯塚の森という塚がある。追っ手が来たので稚児が池に逃げそこに飛び込んだがまたお供の者に助けられ、池の周りの茅の中に身を隠した。追手は茅原を囲んで探したが見つからない。そこで茅に火をつけ出てくる所を捕らえることとした。しかし焼き払っても姫は出てこなかった。姿も見えない。死んだものとしてジンゾウ屋敷を作り裏山に剣を埋め姫の霊を祀った。しかし、姫は死んでいなかった。能生の海賊夜星武(よぼしたける)が茅の原に穴を掘って助けたのである。姫は島道の滝の下まで逃げてきた。ここは姫誕生の地と言われ胎内岩屋がある。産湯に遣ったという岩井口清水がある。姫はここでしばらく逗留した。

能生の夜星武が住んだという江星山
左手二つのうちどちらか実はわかりません。
とがったほうではないか。烏帽子とも書くようだ

と遠くの矛が岳


                                              吉が浦の宮殿で天寿を全う
追手がこないので安心した姫は大沢山の山頂に護身の矛をもう使わないと言って共の者に奉納させた。それからこの山を矛が岳と呼ぶようになったとか。
また、追ってが来たという知らせで姫は矛が岳に逃げようと決心。権現岳からその山を目指した。権現岳の下で水を飲むため杖で岩盤をつくと清水がわいたここを横清水と呼んでいる。岩盤を登りはじめたが滑るのでくつを脱いだ。ここをわらじのぎというそうだ。追手がこないと知り、ませ口の源泉のところに下り、眺めのよいここに逗留すこととした。ここは宮地と呼ばれた。ここに息子健御名方命がやってきた。宮殿に帰ることを勧めたが承知しないので吉が浦に宮殿を建ててあげた。姫はここで天寿を全うした。この宮殿跡が姫の墓と言われている。その後、源義朝の家来が沖から神像を引き上げその墓の上に姥が嶽姫として姫を祀た。現在姥が嶽神社となっている。

権現嶽 右手の矛が岳へと続く 溝尾付近から見た矛が岳   姫の墓の上に建てられたという乳母が嶽神社

                   写真は順次掲載予定ですが取材になかなか行けません。