奴奈川姫物語 その2

大国主命との結婚
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出雲の国を中心に勢力を各地に伸ばしていた大国主の命は能登半島に上陸し少名彦命と力を合わせ
地方を平定開拓するともに、越の国の貴石翡翠の覇権と美姫奴奈河姫を求めて越の国に渡ることになる
出雲大社付近にある大国主命神像

越の国までの足跡は明確ではないが、伝承をつなぐとおよそ次ぎのようになる。

大国主は石川県の小木港(珠洲郡内浦町)に漂着し七尾市所口に鎮座気多本宮より羽咋市鎮座
気多大社間の邑知平野の開拓を進め伏木港より越の国、居多ヶ浜(上越市)に上陸したという。

九十九湾 内浦町 小木 小木港 伴旗祭別名御船祭は
出雲軍団の来港を思わせる壮大な祭
気多本宮(能登生国玉比古神社)能登一宮気多大社はここから勧進したという。大国主(大己貴神)を祀る。
 能登一宮 気多大社 伏木港 富山県高岡市 伏木港近くにある気多神社(大国主を祀る神社)

邑知平野はかつては大きな潟でこの邑知潟には怪鳥や大蛇が住み周辺の村人を脅かしていたが
大国主はこれを退治し国土を平定したという。
この平定開拓のルートを物語る祭りに気多大社の「平国祭」がある。
この祭は神馬を先頭に騎馬の神職 御祭神を
載せた御輿、烏帽子姿の白丁など総勢約60人の行列が
気多大社を出発、途中鹿西町宿那彦神像石神社に一泊し、
同社の祭神少名彦命が神輿に同座し七尾市の気多本宮に
赴きまた羽咋に戻る5泊6日の巡幸である。
別の伝承によれば大国主は羽咋から上陸し開拓を進めたともいう。
この時諏訪明神建御名方命も開拓に加わったともいわれ左利きだつたので左鎌で開拓したとも。
能登のある地域では風鎮めのため左鎌を木に打ち込む風習もあるという。
さて、居多ケ浜に上陸し身能輪山あるいは岩殿山を根拠地とした大国主は越後の開拓や農耕技術砂鉄の精錬技術などを伝えたという。
結婚に先立ち奴奈河姫の住む里を見ようと身能輪山を出た大国主は鳥ケ首岬を過ぎたところで姫の里が見えたので
大声で「奴奈河姫」と叫び浮き名か゜立ってしまつた。そこで名立という地名ができたとか。
ところで結婚はすんなりいつたわけではない。地元豪族がこれに反対した。能生の夜星武は日本海の海賊だつたが、
結婚に反対したので大国主は后の一人を彼の嫁にくれたところ鬼と言われた夜星武が舞って喜んだので鬼舞の地名ができた。
また、後に大国主が訪れたところ彼はもらった后を連れて出迎え服従を誓ったので鬼伏せという地名ができたとか。


写真 駒ヶ岳岸壁
美姫奴奈河姫に想いを寄せていた根知の根知彦は
大国主の出現にひどく怒り身能輪山に乱入したという。
周囲の酋長が仲裁に入り山の上からの飛び比べに勝
った方が奴奈河姫を娶ることとなった。場所は奴奈河の
里の奥山駒ヶ岳でおこなわれた。青光する神馬に乗っ
てとんだ根知彦は別所まで飛び岩にひずめの後を残した。
続いて牛に乗った大国主が飛んだ所根知彦のひずめの後
より少し先へ飛んだので大国主の勝ちということになったが
根知彦はもう一度勝負を提案し二回戦が行われた。
根知彦が再び飛んだ瞬間当たりが暗くなり「オー」という
天の神の声とともに稲光が走り根知彦の神馬にあたった。
神馬は石と化し山の中腹に落ちた。
その神馬は駒ヶ岳の山腹に飛んだ姿のまま今ものこっている。
大国主の勝ちは決定し姫と結婚することになつた。
そこで飛び比べのあつた山を駒ヶ岳と呼ぶようになったとか。

こうして大国主は姫の元に通うこととなった。
古事記によると
八矛の神(大国主はたくさんの武器をもつていたのでこう呼ばれた)が
越の国の奴奈河姫に求婚しようとしておでかけになった折りのこと、奴奈河姫の家に到着して

お歌いになつたことには
現代語訳 原文
八千矛の神は廣い日本の中に、一人の妻をも手に入れることができなくて
遠い遠い越の国に、しっかりした賢い女がいるとお聞きになって
こまやかで美しい女がいるとお聞きになって
求婚にしけしげとお出かけになり求婚に通い続けられ
腰に着けた太刀の緒もまだ解かないで
襲(おすい 後世の被衣 衣服の上から更に頭からかぶる衣服)をも
まだ脱がないでいるのに
乙女の寝ておられる家の板戸を
何度も私がゆさぶって立っていると
何度も引っ張って立っていると
緑濃い山では鵺(ぬえ)が鳴いてしまつた
雉も鳴きさわぎ
鶏も夜明けを告げて鳴いている
いまいましくも鳴く鳥のやつめ
こんな鳥はうち殺して鳴くのをやめさせてくれ

海人の走り使い(海人出身の大国主の従者)よ
語りこととしてこのことを申し上げます

とお歌いになった。
八千矛の神の命は八島国に妻枕(ま)きかねて
遠々し古志の国に賢(さか)し女(め)を有りと聞くかして
麗(くは)し女を有りと聞こして
さ婚(よばひ)にあり通わせ
太刀が緒も未だ解くかずて
襲(おすひ)をも未だ解かね
乙女の寝(な)すや板戸を
押そぶらひ我が立たせれば
引こずらひ我が立たせれば
青山に鵺は鳴きぬ
さ野つ鳥 雉はとよむ
庭つ鳥 鶏は鳴く
心痛くも鳴くなる鳥か
この鳥も打ち止めこせね

いしたふや海人馳使(あまはせずかい)
事の語り言も是をば

まき のむら作 漫画「翡翠の精」に描かれた姫

その沼河比売は、それでも戸をあけないで、家の中から、

 八千矛の神さまよ。
萎草(ぬえくさ なよなよした草)のような女ですから、
私の心は浦洲(うらす 入り江の州にいる)
の鳥のようにいつも相手の方を求めております。
今は気ままにふるまっておりましょうが、
後ちにはあなたのお心のままになるでしょうから、
この鳥をぶち殺しなどなさいますな。

海人の走り使いよ。語り言として、このことを申し上げます。

 緑濃い山に日がかくれたならば、
(ぬばたまの 檜扇の実のように真っ黒な)夜にはいらっしゃって下さい。
そのときのあなたは、朝日のように満面ににこやかな笑みをたたえておいでになり、
栲綱(たくづ 楮の繊維をさらして作った真っ白な布のような)白い私の胸を、
沫雪(あわゆき)ように若々しく柔らかな胸を抱いて、
その手を背中にまで回し、
また私の玉のように美しい手、その手を枕にして、
脚をのびのびと伸ばして、おやすみになってよろしゅうございますから、
むやみに恋い焦がれなさいますな。
八千矛の神さまよ。

語り言として、このことを申し上げます。

八千矛の 神の命(みこと)
萎草(ぬえくさ)の女(め)にしあれば
我が心 浦渚(うらす)の鳥ぞ
今こそは 我鳥(わどり)にあらめ
後(のち)は 汝鳥(などり)にあらむを
命(いのち)はな殺(し)せたまひそ

いしたふや海人馳使事の 語言も是をば

青山に日が隠(かく)らば
ぬばたまの 夜(よ)は出(い)でなむ
朝日の 笑(ゑ)みを栄え来て
栲綱(たくづ)の 白き腕(ただむき)
沫雪(あわゆき)の 若(わか)やる胸を
そだたき たたきまながり
真玉手(またまで) 玉手さし枕(ま)き
股長(もも)に寝(い)は寝(な)さむを
あやに な恋ひ聞こし
八千矛の 神の命(みこと)

事の 語言も 是をば

   と歌った。それでその夜は結婚しないで、翌日の夜にご結婚なさった。

ここでめでたしめでたしとなるところですが果たして姫の運命は
(農繁期 祭りなど重なり更新がおくれてすみませんでした まだ写真取材途中ですので後に補充予定
とりあえず未完成ながら掲載)
 次は その3 諏訪明神の誕生