第十三回 薙鎌打ち神事
平成27年9月1日 戸土境の宮にて
北島和孝宮司様により斎行



大宮諏訪神社宮司詠


母神の知ろせし国を見下ろして
薙鎌神事今し始まる



写真 小谷村広報「おたり」より
諏訪明神の象徴、薙鎌が、諏訪大社北島和孝宮司により打ち込まれ、御柱祭の幕が切って落とされた
境の宮が鎮座する戸土は 中俣の小倉明神とともに天気の良い日には、父神大国主命が、出雲の鉄器文化の象徴とも言える薙鎌により国造りに活躍された能登方面や翡翠の女神で 母神の奴奈川姫の統治された越の国が眼下に広がり、近く上越市には明神生誕地とされる場所もあり、古代のロマンが蘇ってくる場所である


新しく打ち込まれた薙鎌(中央)、昔の打ち込まれた薙鎌とともに、風を切て、信州の地を静かに見守っていた。
写真提供 小沼 稔邦

薙鎌打ち神事は、国境見(くにさかいみ)の神事とされ、また諏訪明神は風の神でもあり、
鎌を木に打ちつけて風鎮めをする民間信仰ともつながっており、薙鎌は衆魔催伏の利剣とされることなどを考えると、御柱祭前年に国境を確認し、いわゆる国土のお祓いを行い、無病息災、平安を祈って御柱祭の前年に斎行されてきたものと思われる。

この神事がいつ頃から行われて来たかは定かでないが、元禄時代の古文書によるとそれ以前古くから行われていたことが分かる。江戸期には十一月頃、下社の大祝様自ら幾日も掛けて辺境の小谷の地にいらっしゃり、神主宅に滞在、頭役銭集め、各神社への薙鎌奉納などを果たし、晴天の日に小谷七か村の神主、庄屋組頭など村役人等お供の行列を作り四里余りの古道を越えて国境に向かい神事を行って来たようである。長逗留で初雪も降り難儀されたこともあったようだ。

写真提供 小沼 稔邦