第二回 薙鎌祭

二回目は戸土の内、中又の小倉明神社で行われる順番で、この年(昭和24年)から大宮諏訪神社の例祭に合せて行うことなった。
 大社では宮司が変わり、守矢真幸氏が宮司として御来社くださることになっていた。
 ところが、前日宵祭りの日に祢宜の宮坂清適氏が先に来社され、守矢宮司は風邪をひいてしまって、来られないので私に替わって行けと言われて来たとのこと、格段と理解を示してくれていた守矢宮司が来られないのは淋しいと思っていた。
写真 守矢宮司の薙鎌 拡大します 
翌日の大祭日 午後一時頃突然宮司さんが来社して少し熱が下がったので執行の責任を果たしたいので出て来たとの事で、涙が出る程嬉しかった。
 大宮での祭事を済ませて、お旅所の家(元庄屋太田清輝氏宅)で泊まり翌日戸土へ向かった。前回は山越であったが、今度は自動車で糸魚川街道から戸土へ向かった。
 しかし、バスはなく、トラックを使うこととなった。トラックは違反になるというので、警察官に助手席に乗って露沸いをやっていただいて無事交通の確保ができた。
 小倉明神社では天然記念物の大木に特別に調製して頂いた薙鎌を打ち込んだ。 (小倉大明神社には諏訪様の母神奴奈川姫の命を祀ってある。) 帰りは糸魚川へ出て前と同じく一泊していただき、国鉄で長野廻りで帰っていただいた。
 中土の人達は当日糸魚川からトラックで帰った。

  

薙鎌打行事を奉仕して 太田氏の為に
そそりたつ杉のおほ木にうつかまのおとたかなるやあきのみそらに
(そそり立つ杉の大木に打つ鎌の
         音高鳴や秋のみ空に

和気致祥

神朝臣守矢真幸書
権祢宜宮坂清適氏の長歌と反歌
宮司の代理として参向くださった祢宜宮坂清適氏が太田家に一泊したとき、太田氏が十一月結婚すると聞き長歌と反歌を作り贈った書 太田家では額にして中座敷に常に懸けてある(画像拡大します)
太田家に一泊した真幸宮司が次ぎの朝詠んで色紙に書いたものを元に 太田家の庭に建てられた碑
(画像拡大します)

第三回薙鎌祭