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小谷総社大宮諏訪神社解説

長野県及び村の重要文化財がある 祭神 信濃の国を開いた建御名方の神

当社の創建は 奈良時代初期 仁科王社殿を建立と伝えられ(養老2年 718年 今から1297年前あるいは、天平9年 738年 今から1278年前とされるが定かでない。)現在地より南西の山手 神宮寺の南西上部にあったが室町時代現在地に移る。

1 神社建築

 現在の本殿(神様がおいでになる所) 長野県の重要文化財
江戸時代初期 元和5年1619年 今から396年前 金原周防の守という宮大工による。この人の作は長野県では仁科神明宮(大町市)が国宝になっている。 当社の場合途中で地元の大工が一部修繕したため国宝にならなかった。 覆屋の中にある。

拝殿 江戸時代 宝暦12年建立 1740年 今から253年前

2 神事 式年薙鎌打ち神事 県無形民族文化財

 現在 諏訪大社の御柱大祭の前年7年に1度 諏訪大社より直接宮司が当社に参向(全国で唯一)し薙鎌奉献神事奉告の儀を行い、翌日新潟県と長野県の境の神社 戸土の境の宮と中俣の小倉明の神社に出向き7年ごと交互に神社の神木に諏訪明神の象徴薙鎌(ご神体)を打ち込む神事である。 諏訪大社の御柱祭開始の行事

 諏訪明神=建御名方の神(弥生末から古墳時代?)の信濃の国造りを子孫が受け継ぎ 白鳳時代 国境巡視をした。後世これを受け継ぎ7年に1度規定の巡視を実施した。このときいつからか国境の神社に薙鎌を打ち込んで帰ることとなった。当社は国境の神社をまとめ その時の拠点となる神社(小谷総社と呼ぶ)であり 現在この神事を執行 する神社。 国境の確認、風鎮め等天災除去、信濃の国の平安を祈る行事。

 民族芸能 狂拍子 奴踊り 県無形民族文化財

  狂拍子 二人の子供が棒を持って踊る。前の子供が棒2本持ち太鼓をたたきながら踊る。後の子供が長い棒を1本持ち頭上で回しながら踊る。途中で二人は合体し前の子の2本の棒が後の子の棒を膝の近くで挟む。前の子がめしべ 後の子がおしべ で交配の動作と考えられ、豊饒を祈る踊り。

奴踊り 頭役を中央にして 12人の奴がその回りを踊りながら回り1週するごとに歌を1首ずつ大声で詠み、3週する。先頭の人は 短冊のぶらさがった長柄を持ち 踊りの初めに地面から民意を吸い上げる動作をする。 歌1番 その年の天候と農作物の出来具合を詠み神に感謝を表す。2番 地域の情勢と庶民の気持ちを読む。3番 国や世界のその年の情勢 事件などを題材に庶民の気持ちや願いを読み神に祈る。                    
 神社の森 小谷村の天然記念物

  杉を初めケヤキなどの大木が神社を守っている。古い木は 室町時代か?

当神社ホームページhttp://nakaya24.sakura.ne.jp 大宮諏訪神社 心に残るふるさとの祭」をご覧ください。