奴奈川姫命物語 その3 諏訪明神の誕生 |
郷土史家 三田村優 先生(上越市五智在住) 講演録(去る10月21日 諏訪神社連合大会講演)を元に編集しました。 地図は後日掲載 |
居多ケ浜の近くに身能輪山という丘のような山に大国主命の宮殿があり、そこから奴奈川の里にやってきたのであるが、姫と歌を交わした日は身能輪山の宮殿に一度帰った。翌朝早く再び出発し、奴奈川姫命を訪れ、結婚した。命はしばらくこの里で暮らし、翡翠の加工技術や販売の指導などしたという。この仕事が軌道に乗ると后の姫を連れ身能輪山の宮殿に戻った。 |
五智公園展望台より見る 手前の山から赤い三角屋根のある平地の辺りが身能輪山 と思われる。左の山が岩殿山。岩殿山中腹よりやや下方の向こう側辺に 諏訪明神生誕の岩屋がある。 |
身能輪台の憩いの広場。 この辺一帯が身能輪山という。 管理事務所の方に聞くと下にバイパスを通すため山を削って広場にしたという。下は郷津トンネルというのが通っている。風車の向こうが岩殿山。 |
宮殿に落ち着いた大国主命は稲作や布を青芋(あおそ)から作る技術を土地の人に伝授し人々の暮らしを向上させた。この頃 姫は岩殿山の岩屋で王子を生むこととなった。この時産婆役をしたのが乳母嶽姫命といい、ヒカゲノカズラを襷に岩屋から湧き出す清水を産湯にしてめでたく建御名方命を誕生させたという。 |
明浄院という寺の境内に岩屋はある。 岩屋は胎内岩と呼ばれる。 一帯は子産殿(こうみど)といわれている。 |
明浄院の前の庭から階段を登ると諏訪神社がある。 御祭神 大国主命、奴奈川姫、建御名方命、 乳母嶽姫命と書いた看板があつた。神社の左の岩が 胎内岩。 |
明神生誕の岩屋 貞観以来善光寺地震まで度重なる地震 により崩れ岩屋の面影はない。 |
![]() 下 明浄院庫裏の池 遣り水の音がしていた 地下水を井戸から汲み上げてこの池におとしているとか 岩屋からは清水は出ていないが産湯に使ったと同じ水脈であろうか |
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国分寺奥の院 明浄院 生誕以来岩屋は聖地として多くの著名人が訪れた。行基はこの岩屋に籠もり指図して三年で越後国分寺を建立。戦国の武将上杉謙信は自分の墓を三基作らせたが、そのうちの一つをこの岩屋の側にした。(その後会津に移転)現在は石を三基ほど積んである。写真撮るのを忘れてしまい掲載できない。 |
上越市五智の居多神社境内にある 大国主命と奴奈川姫命の像 |
王子の誕生をたくさんの小鳥や雉、鹿、熊などがやつてきてお祝いした。日本海からは「愛の風」という作物を育てる穏やかな風がそよそよと吹いた。 |
越後国一の宮 居多神社 | 御祭神は大国主命、奴奈川姫命、建御名方命 である |
乳母嶽姫を祭る乳母嶽神社 鎮座地 上越市茶屋ヶ原 |