第七回目 薙鎌祭(昭和54年)

神職全員大祓詞奏す 一番右画家岡本太郎氏(カメラを持っている方)先頭の紅の袍着用は大宮諏訪神社宮司、
向こう黒の袍着用は加藤大社宮司
戸土境の宮で行う順番である。諏訪大社では宮司交替で、加藤茂宮司さんに初めてご奉仕頂く事になった。随員は五十嵐権祢宜さんであった。この年から自家用車を使ってのご来社で大変便利になった。前日宵祭りの日にご来社いただき御参拝の後、社殿の構造等を念頭に祭事の打ち合わせをして、小谷温泉へ御案内 し、祭日の午前に拙宅に来て頂き昼食を済ませて祭事に御奉仕していただき、拙宅泊まりで翌日戸土へおいで項く事は例年の通りであった。
 祭事終了後は姫川温泉で祝宴を開き、この年から即日帰宅となった。自動車の発達によるものであった。この年から外来参拝者も多くなり、民族学研究者たちの参加も多く有名な岡本太郎氏も来られた。諏訪大社の大総代方も数名おいでになった。岡本太郎氏は鉄器文化につてい研究されているとかいうことで出雲を回られての帰りだとおっしゃっておられた。直会にも出席していただくよう総代会長に頼んでおいたところ、氏は大変辞退されたそうだ。軍隊上がりの総代会長で、激しいところがあり、岡本氏を叱りつけて、氏も閉口してご列席くた゜さった。氏にはご迷惑かけたが良いエピソードが残った。その総代会長も亡くなられて久しい。熱心な方であった。 






加藤茂宮司の書
「瑞烟生福寿」宮司家所蔵
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第八回目 薙鎌祭(昭和60年)
 大社宮司加藤さん、随員五十嵐さんがおいでくだされた。大宮諏訪社での祭典やお泊まりは前回の通りであった。今回は仲俣の小倉明神社での祭事の順番である。戸土境の宮の方から押し回しというところを回って行った。氏子の和田蔵三さんのお宅に向かう途中に地滑りがあったばかりで、生憎の雨にて道中悪路で歩くのに気の毒なようであった。加藤宮司さんは祢宜の車に乗っていただいたが、4輪駆動でなかったのでぬかるみにはまり動かなくなったのである。しかたなく泥の中におりていただかざるを得なかった。
 やっと和田さんの家について準備をしたが大雨になり、沢の水も出てきたため、時間を遅らせ落ち着くのを待った。一時お宮まで行かず途中の木に仮に打っていただくことを考えたが、幸い雨も止んできた。小倉明神へは和田さんの家から林を抜け、河原を渡って、さらに細い山道を10分ほど登って行くのである。沢の水は濁って増水しておりその上の二本の丸木橋を渡って行った。
 然し参列者は多く糸魚川の人達も多く来られ、狭い境内は盛りこばれるようであった。
 小雨の中の薙鎌打ちであったが霧の中での祭事で神秘性があって神々しく皆感激したようであった。珍しくフランス大使館の方もおいでになった。
 河原の辺はまむしが生息しており、氏子の方がこの日のため2,3日前草刈りをし、道つけをしてくださったのだが、手を噛まれて入院しこの日来られなかった方もおり、お気の毒であった。多くの方のご協力によってやっとできる行事であると感謝している。
諏訪大社銘の傘を総代がかざす中薙鎌を打つ。 杉の神木に鎌を打ち込む加藤宮司
境内は狭く暗いので写真撮影は大変である

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