歌の内容
                    
長崎部落は奴の本村といわれ、歌はこの地区の寄り合いで作詞する。

@豊年や神徳をたたえる歌。A地域に関すること。B時局、世相の歌

 軽妙な皮肉、揶揄を交えての為政者、社会への不満など祭という行事に事寄せて神前に訴えてたものである江戸時代より410余の歌が残されており、時勢とそのころの人々の民意が反映している点が貴重な資料である。

歌い終わると刀に手を掛け天をにらんだままの姿勢で、タッタッタ、と足踏み、みさらに右、左と足を曳きタッタッタと足踏みをする。次に初めのように手足を一定の決まりに従って振り1周し歌を読んでいく。

こうして三周し、奴頭が拝殿前の階段を昇って観衆の拍手を浴びながら神社に行く。神社の拝殿で参拝警護が用意した歌を総代会長の持つ三宝に乗せ奉納し終わる。

 


奴歌と歌の歴史

現在までの奴歌約410余首のうち初め56首は一冊の帳面に縮めて記されている。この作歌年代は不明である。単純計算で遡ると1770年まで遡れる。整理書写年代は古老談によると、「宝暦年間に書写した」と言う。が考証の結果宝暦より遅れ、文化年間以降に書写されたとほぼ判明した。残りの歌は1ページずつ毎年毎年の祭の折りに作歌して歌われ、そのまま端紙で年代順に重ねて綴じ保管されたらしい。年号が記されたのは明治27年以後である。祭典の時のものをそのまま綴じたと思われる。明治28年以降は三首ずつ作り今日におよんでいる。この歌は神社関係者にも知らされず、祭典当日まで極秘とされている。

次 <江戸期の歌>