その1 玉を支配し政(まつりごと)を行う姫  その2 大国主の遠征と結婚   その3 諏訪明神の誕生 その4 姫の悲運new

伝承による
諏訪明神の母神

奴奈川姫命物語
その1
玉を支配し政(まつりごと)を行う姫    

参考文献

郷土史研究家
三田村優氏
「国府物語」
講演録

亀井千穂歩子氏著
「奴奈川姫とヒスイの古代史」

渡辺義一郎氏著
奴奈川姫伝説の謎



編集
大宮諏訪神社
大宮諏訪神社の奴奈川姫命と思われる像
翡翠により人心を集める姫
昔昔(古代)越後の国奴奈川郷という所に翡翠という宝玉を持ち超能力、呪術によって農耕狩猟などの収穫を予想したり、病気の平癒や人心迷いの時に決断を与え、人心を掌握している巫女がいた。これが、後の諏訪明神の母となる奴奈川姫であるという。
彼女は近くの川から拾われる硬玉を加工し宝石を作る玉造集団の長で、祭祀をも司りこの翡翠の宝石によって交易し栄えていたそうだ。

姫はいつどこにすんでいたか。
もちろん 定かでない。
この地方の古代人は川から流れ出た翡翠の原石を拾い加工していた。
ぬな河の底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも あたらしき君が老ゆらく惜しも(万葉集) 
翡翠の原石を産するぬな川と称する川の近くであり、玉造などに関する遺跡があり、また奴奈川姫命を祀る神社が近くにあることも条件の一つとなろう。その川とは翡翠原石を持つ小滝川を支流に持つ姫川であり、青海町の青海川上流が該当する。 そうすると新潟県糸魚川市及び西頸城郡の遺跡のどれかが想像される。主な遺跡として 長者ケ原遺跡(糸魚川市一宮 縄文中期) 大角地遺跡(青海町 縄文古墳複合遺跡) 笛吹田遺跡(糸魚川市寺町古墳時代)田伏玉造遺跡(糸魚川市田伏 古墳時代)などがある。 このれらの遺跡からは玉造工房の跡や制作途中の玉が確認されている遺跡もある。 縄文、弥生、古墳時代が想像される。

長者ケ原遺跡 
 下図1号住居 掘立柱建物(墓や広場との関連建物) 11号住居復元施設(磨製石斧工房跡)方面を望む
長者ケ原遺跡16号住居復元施設から1号復元施設を望む

長者ケ原遺跡案内図


 制作途中の翡翠 長者ケ原遺跡出土品のイメージ
(本物は考古館でごらんください)
古代人のお守り=玉(神社のお守りの前身)
古代人は円形という完全な形をあらわす玉を「たましい(霊魂)」=精霊を象徴するものと考えた。精霊は私欲を持たず常にまるくかたよりがない。人間は私欲をもち霊魂の形がついかたよったものになる。そこで古代人は霊魂の形を表す玉類を身につけ時々それをながめることによつて自分の霊魂をまるい形に保つよう心がけた。よって、装身具として玉類がつくられそれを身につけてまるい心で生活すれば多くの精霊の助けを得られると考えていた。なかでも巴型の勾玉はまるい霊魂が飛び回っている姿をあらわすもので特にこれが重んじられた。(「日本人なら知っておきたい神道」武光誠著河出書房夢新書による)
特にカワセミの羽のようなヒスイ色の勾玉は古代人のあこがれでありこれを操るものは人心を得、政(まつりごと)を行うことができたのであろう。奴奈川姫とはそのような存在であったろう。
翡翠の勾玉 翡翠の勾玉 玉造遺跡より発掘される大珠
付近の遺跡出土品の類似品

遺跡出土火焔式土器のイメージ
青海川の国指定翡翠の大原石 側面より撮影 俯瞰撮影 1枚?の原石の間を削って流れる青海川
海に流れ出していく青海川 姫川支流小滝川の翡翠峡 写真未撮影
遺跡付近に姫を祀る神社があることも条件の一つとなろう。
姫を祀る神社として 
山添神社(青海町田海 近くに大角地遺跡) 天津神社内奴奈川神社(糸魚川市一ノ宮 近くに長者ケ原遺跡)
 奴奈川神社(糸魚川市田伏 近くに玉造遺跡)他がある。
田伏奴奈川神社の額
同社拝殿と 近くの古代の鉄製錬跡たたらの遺跡
他に田海川の上流黒姫山の山腹に福来口という鍾乳洞の洞窟がありここが姫の居住していたところでその川で布を姫がさらしたので布川と呼び奴奈川であるという伝承かある。しかし、翡翠は出ないようだ。
黒姫山中腹にある福来口の鐘乳堂の洞窟 黒姫山を望む 

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